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人間(こころ)が壊れるとき
2008年11月09日 (日) | 編集 |
昨日、出かけた帰り、ふと、携帯でブログを読み始めた。
普段のわたしはめったに外で携帯ブログを読むことなんてない。
けど、そのときたまたまランキング1位になっていた、

人間(こころ)が壊れるとき

を読み始めてしまいました。

そして、止まらなくなった。
家に帰っても読み続け、内容を仕事から帰ってきた旦那さまに話し、
寝る直前まで読み続け、
そして今日も、朝からさっきまで、朝ごはんも昼ごはんも食べず、夢中で読み続けてしまいました。

なぜ読み続けたのか?
このブログが在宅介護の体験記だったから。

うちの祖父母(母方)は今年の1月、8月に、立て続けになくなりました。

大好きだったおじいちゃん、おばあちゃん。
母と、その兄弟(姉、姉、母、弟、妹、弟の6人兄弟)たちは、
パーキンソン病と、痴呆を患う祖母を、7年近く、在宅介護していました。
祖母の痴呆の原因となった、祖父の骨折は、それよりもさらに2年ほどのこと。
祖母ほどではないとはいえ、足腰の弱った祖父の介護もありました。

わたしは、遠くから、ずっとそれを見ていた。

見ていた、だけだった。大好きな祖父母なのに、なんにも手伝えなかった。

実家に戻ってまで、介護を一緒に手伝うことは、、、できなかった。

このブログ、『人間(こころ)が壊れるとき』は旦那さまのお母様を介護する、サトコさんの回想録です。

壮絶です。

これを読んで、わたしが知っている母たちの介護のつらさは、
きっと氷山の一角だったのだろうと、思い知りました。

読みながら、本当にたくさんのことを思い出しました。

介護の現実、普通に見てても、本当に大変そうだった。
実家に帰るたび、手伝えることは、手伝おうとしました。
でも、何の役にも立てなかったんです。

普段からやっている人でないとわからない苦労。
それをひしひしと感じていました。

少しでも代わってあげたい。そんな気持ちはあった。
だけど、ベッドから車椅子に移す作業一つ、わたしはちゃんとできなかった。
何度か練習させてもらったけど、年に数回、せいぜい2~3泊するだけの帰省では、
何にもできなかった。
わたしが食事を食べさせようとしても、食べてくれない。
コツが、わからないんです。
帰るたびに、進んでいく病状。前回教わったこととは、もう違う。
毎日やっている人にしか、わからないことが、たくさんある。
そして、それを説明するよりも、母が自分でやったほうが早いんです。

自分の無力さを、悟りました。

そして、結局、

「これはお母さんたちのやるべきことだから。
おばあちゃんも、お母さんたちのおじいちゃん、おばあちゃんに対してやったことだから」


その言葉に甘えたのです。

母たちは4人姉妹。田舎だからか、家だからか、
家事や介護に関しては女の仕事。男の人が手を出すことはあまりありません。
ひとりで介護されている方たちよりは、姉妹がいる分、ずっとラクだったと思う。
母たちも、「一人では絶対にできなかった」と口を揃えて言います。

母一人ではなかったから、わたしも帰らなかった。

けれど、どんどん、病状が進む祖母、老いていく祖父。
母たちも、どんどん年を重ねていくのに、
やることは増えても、減ることはない。
年々溜まっているだろう疲れ。

祖母が亡くなる前の数ヶ月。
母たちの疲れはピークに達していました。
姉妹の中で一番穏やかな叔母ですら、イライラしているのが、傍目からでも見て取れました。

こんな生活を続けていたら、誰かが倒れちゃう。

「お母さんが倒れたら、他の人が大変な思いをするんだよ。
ちゃんと、休んで、自分の体もいたわって。」

母に、何度もそう言いました。
7年越しの介護。特に、ここ数年、寝たきりの祖母とは意思疎通もできません。
祖父の耳も、遠くなり、どんどん体は弱っていました。

母たちは、それでも決して手を抜かなかった。
けれど、どんなにがんばっても、よくなることはなかった。
この7年の間に、祖母も、祖父も、何度「覚悟してください」と医者に言われただろう。
そして、何度をそれを乗り越えただろう。

「いつまでこれ(母たちの苦労)が続くんだろう?」

「わたしはこれと同じだけのことを、母に対してできるだろうか?」

「おじいちゃん、おばあちゃんが、死ななければ、これは終わらないんだ」


大好きなおじいちゃんなのに、おばあちゃんなのに、

わたしは、そんなことを考えていた。自分が介護しているわけじゃないのに。
自分が介護してないからこそ?

あれもやってあげたい。これもやってあげたい。

家族ならではの思い。
母たちの愛情は、本当に、尊敬できるものでした。
彼女たちは、それでも、十分ではないと感じていたけれど。
もう、わたしが手伝うとか、それくらいでどうにかなるレベルはとっくに超えていました。

そうやって、自分の時間を削って、最後まで、本当に出来る限りのことをしていていたと思います。
わたしも、叔父たちも、母たち姉妹に頭があがりません。

ヘルパーさんや、看護士さん任せでは、ここまでの介護は絶対できない。

病院で亡くなるよりも、ずっとずっと、祖父母は幸せな死に方をしたと思う。

それは4人の娘たちのたくさんの愛情とそれ以上苦労のおかげ。

そして、それは、

祖父母と母たちが実の親子だから、できたことだと思う。
祖母の病気前の性格もそれを後押ししたのだろうと思う。
(祖母は怒ったことがない、穏やかな人でした。お葬式の時、孫たちに対してだけでなく、こども(母たち)に対してもほとんど怒ったことがないのだと初めて知りました。)

けれど、このブログのサトコさんは、違いました。
義母の介護のための結婚。
20代後半からの10年間。義母の介護のためだけの生活。

この状況で、このお姑さんにここまでのことをしたサトコさんは、本当にすごいと思う。

「これ実話なの?作り話じゃないの?」

何度も、そう思った。

ブログが実話かどうかなんて、わたしにはわからない。

けれど、鬼気迫るものを感じました。
そして、それは、わたしが母たちから感じていたものと近いものがありました。

ヘルパーさんや、看護士さんたちへの、期待、
ヘルパーさんや、看護士さんたちからの、誤解。
介護、病気への認識の甘さ。制度のつたなさ。

時代的には、祖母の介護が始まった頃と同じ頃か、それよりも前なのかな?

当時を思い出し、「母たちの言っていたことはこれだったのか、わたしは何にもわかっていなかったんだ。」
そう痛感しました。

サトコさんは、政治家に読んでほしい、と書いています。

ただ、政策を話しあうだけでなく、介護してみてほしい、と。

介護をしたことがある人にしかわからないこと。
外から見ているだけでは決してわからないこと。

あまりにも、赤裸々で、びっくりする場面もあるかもしれない。
けれど、たくさんの人に読んでもらいたいブログだと思いました。

気分を悪くされる方もいらっしゃるかもしれない。

もしかしたら、今はもっと改善されているのかもしれない。

けれど、改悪となっている部分もあるように、私自身は感じています。

今も、たくさんの人が、自分の気持ちを抑えながら、必死に介護をしているのかもしれません。

それを知る人が増えれば、少しでもよい方向に進むのではないか?

このタイミングで、わたしがこのブログに出会った意味。

みんなが、毎日、楽しく、ハッピーに。

どうしたら、そんな世の中を作れるんだろう?

すべてのことはわたしの責任。

祖父母のことでさえ、何もできなかったわたし。
何もできない。何の役にもたたない。
そう思うと、心はどんどん沈む。

だけど、一つでも、何かできることがあるなら。

その時その時できることを、

たとえ小さなことでも、やっていこう。

こうしてブログを書くこと。

ポノポノを続けていくこと。今までに学んだことを、少しでも役立てること。

今のわたしにできることを一つずつ。それしか、できないから。


人間(こころ)が壊れるとき

可能なら、本になってほしいな。

心から、そう思います。



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